ピアノと娘に向き合い続けたつもりだったけど実は自分のエゴと分かりピアノをやめさせた話

ピアノと娘に向き合い続けたつもりだったけど実は自分のエゴと分かりピアノをやめさせた話

約1年続けた娘のピアノをやめることにしました。
なかなか自主的に練習せず、あの手この手で娘のモチベーションを上げるモチベーションが尽きかけていることもありますが、そもそもそんなに努力して続けさせる意味があるのかも悩んでいました。

特に発表会前にはかなり厳しくクオリティを求めたので、大泣きしながらピアノを弾く娘に自分のエゴを押し付けている罪悪感を感じるとともに「このままでは親子関係が破綻する・・・」と危機感を覚えました。

反省し、アプローチを変え「褒め褒め作戦」や「まず自分が楽しそうにピアノを弾いて娘が自発的に加わってくる作戦」などを試しましたが、そもそも娘はそれほどピアノが好きで好きで仕方がないわけではなく、私の精神的な負担は増えるばかり・・。

怒りがピークに達し、「ピアノやめる!?」と言うと、必ず「つづけたい!」と泣いて懇願するのですが、おそらく「ピアノをやりたい」というよりも「おかあさんのきたいにこたえたい」という気持ちだったのでしょう。

「お絵描きがしたい」

朝起きてどんなに時間がない時も、幼稚園でも、家に帰って来てからも、娘がまずやるのが絵を描くことでした。

ある時二人でお風呂に入っているとき、
「ピアノやめたいならやめてもいいよ。他にやりたいことがあるなら応援する!」
と切り出してみました。

最初は目を逸らして「どっちでもいい」と答えていた娘でしたが、
「本当の気持ち教えて」
というと、

「おえかきがしたい・・・」とつぶやきました。
娘が絵を一番好きなことは私自身も分かっていました。

ピアノを続けさせたいと思ったのは、親として色々な思惑がありました。

・多動な娘の集中力を鍛えたかった
・音楽は世界共通言語
・楽器が弾ける楽しさを知って欲しかった(自分は挫折しているけど・・・)
・東大生の6割強がピアノ経験者なこと

いつの間にか娘がしたいことより、自分がさせたいことの方にすり替わっていたのです。

自分の時代とは違う!
「LEGEND MIND」から「TRANSFORMATION MIND」へ

「LEGEND MIND」と「TRANSFORMATION MIND」とは何でしょうか?


「LEGEND MIND」とは親世代が代々受け継いできた考え方。
これまでは単体の突出した能力よりも総合的な能力を求められてきました。

例えば国語が得意でいつも満点を取っていたら、「国語はもういいから苦手な数学をやりなさい」と親に言われませんでしたか? 私はそうでした。

苦手科目の多くはいい先生に恵まれなかったことが原因だと私は思うのですが、それは置いておいて、好きなことに思いっきりのめりこめる環境を作ってあげるのは親の務めではないでしょうか。

私は幼い頃あまり自分の「好き」を尊重されてきませんでした。
何をするにも人の顔色ばかりうかがってきました。
なので、大人になって「好きなことをやりましょう!」といわれても、自分が何が好きなのか分かりませんでした。

自分の子を自分探し難民にしないために、今せっかく芽生えている「好き」を刈り取ってしまってはいけないと思ったのです。

私の尊敬する小林正観さんがかつてこんな事をおっしゃっていました。


「子どもが伸びたいように伸ばせば、子育てはこんなに楽なことはない。」

対する「TRANSFORMATION MIND」はまさに子どもや時代に合わせたマインドです。
まさに伸びたいようにのばすマインドですね。

自分に染み付いた習慣を手放すのはなかなか難しいもの。
とはいえ、これからは自分の得意分野で勝負する時代!

日本の企業は人に仕事をつける「メンバーシップ型」が中心ですが、仕事に人をつける「ジョブ型」に少しずつ増えています。
この先ジョブ型はどんどん主流になっていくでしょう。

この機会にすこしずつでも「TRANSFORMATION MIND」にシフトして、子どもたちの「好き」に向き合ってみるのはいかがでしょうか。